━憂歌団"B級で悪かったな!"


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西からの憂風...かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう・憂歌団"B級で悪かったな!"

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<関西が誇るNo.1ブルースバンド、憂歌団>

赤い灯 青い灯 道頓堀の川面に映る恋の灯よ
甘く切ないブルースの調べにのせて 歌い続けて十四年
はるか大阪から 御当地新宿シアターアップルに
今宵やってまいりましたこの四人のメンバー
暖かい拍手でお迎えください・・・・・・
(Live at Theater Apple 24th.May.1986前口上 司会は景山民夫)




1977年の名作の誉れ高いLIVE!『生聞59分』



高校の同級生であった木村充輝 (VOCAL) , 内田勘太郎 (GUITAR) , 花岡憲二 (BASS) , 島田和夫 (DRUMS) という不動の4人組からなる大阪のアコースティック・ブルース・グループ。1970年代初頭から京都のブルース・シーンに顔を出し、上田正樹などと共演。75年に放送禁止Aランクに指定された「おそうじオバチャン」でショウボート・レーベルからデビュー。77年には名盤「生聞59分」リリース、80年にはブルースの巨人マディ・ウォーターズとの共演も果たす。黒人の苦悩をわかり切ったように悦に入っていた多くの和製ブルース・マンを尻目に大阪という日本のDEEPな感性でのし上がったように思える。スリーピー・ジョン・エステスの引退公演の全面サポートに抜擢されたり、日本一のブルース・バンドとして長年にわたり君臨。98年に活動休止。



個性的なブルース集団の憂歌団は、人情味にあふれた歌をうたわせたら天下一品!ブルースのスタイルを借りて演歌を歌っていたようなグループが彼らです。代表曲も多いし、独特の解釈によるカヴァーも面白い。こんなユニークなバンドは滅多に出てこない。憂歌団のステージには酒がつきもの。いつもステージの床の上にはコップが並んでる。勘太郎さんはポッケからキャンティーンを取り出し素早くキュッとあおってる。曲と曲の間の酒飲みの儀式が一段落すると、「ほな、ぼとぼち行きまひょか」というフレーズが出て歌へと流れ込んでゆく。木村秀勝のド迫力のダミ声と、内田勘太郎のボトルネックギターが聴きモノなのは勿論のこと、客席とのヤジの応酬でスリリングかつ、熱いステージが楽しみで、彼らのライブへは何回か足を運んだものです。オリジナルに加えて、ブルースクラシック、歌謡曲のカヴァー等、内容は多彩。「おそうじオバチャン」、「当れ!宝くじ」、「パチンコ」などコミカルな曲、乗りのいいラグタイムやシャッフル、中でも必聴なのが加山雄三の名曲「君といつまでも」。



憂歌団はとにかく凄いバンドでした。
ライブは最高に面白かった上に、テクニックは最高
ボーカルの木村秀勝(充輝)は日本一
ギターの内田勘太郎も日本一



1981年12月21日東京・久保講堂でのLIVE完全収録盤3枚組はそんな憂歌団の魔力を伝えるファン狂喜の最高傑作です!



「嫌んなった」作詞: 沖てる夫 作曲:憂歌団

嫌んなった、もう駄目さ だけどクサるのは止めてこう
陽の目を見るかも、この俺だって

嫌んなった、あの野郎 他に男がいたなんて
こんなつらいのは、まるで初めてさ

もひとつ気ばって いい娘を見つけに出かけよう
何とかしてくれ、神様、仏様

嫌んなった、もう駄目さ だけどクサるのは止めとこう
陽の目を見るさ、この俺だって

もう、めちゃくちゃ泥臭い。
基本的に、労働者ソングなんですね。あくまでもブルーカラーの。労働歌っていうのは、ブルースの基本ですよね。勘太郎さんのアコースティックのスライドが、いいんだ、これが。泣けます!時には気怠く、かつパワフルなブルースの魅力が詰まった逸品です!わたしは、今も日本一のブルースギタリストだと思ってます。だいたい、憂歌と書いて、ブルースというのは、サイコーの訳し方だと思いませんか?






木村秀勝(VOCALS&GUITARS)□・□内田勘太郎(GUITARS&BACKGROUND VOCALS)

花岡憲二(BASS&HARMONY VOCALS)□・□島田和夫(DRUMS)




彼らの強烈な音楽性には、東陽片岡画伯描くところの「老朽木造アパート」風味の人生の悲哀=ペーソスがあり、当時の東京vs関西どっちがエライという対抗意識(イイ言葉デスネ!)を感じさせないものがすべからくありました。憂歌団は日本独自の”ぶる~す”をぶっちゃけて歌いあげ、東西を越え時代を越えて愛されたバンドでした。



75年に放送禁止となったデビュー曲「おそうじオバチャン」。憂歌団のライブは、吉本新喜劇のように、パターンが決まっていて、「おそうじおばちゃん」という曲の時にギターの弦がきれ、それを張り替えるときの間のもたせ方も毎回同じなんだけど、笑ってしまいます。客席からはなぜかいつも「あほー!」の声援というか罵声が飛び交います。後発のアルバムには、”お政治オバチャン”という、アンサーソングも作られています。



「おそうじオバチャン」作詞: 沖てる夫 作曲:憂歌団

あたしゃビルのおそうじオバチャン あたしゃビルのおそうじオバチャン
モップ使って仕事する

朝・昼・晩と便所をみがく 朝・昼・晩と便所をみがく ウチの便所はもうイヤヨ

一日働いて2000円! 今日も働いて2000円! 明日も働いて2000円!
クソにまみれて、2000円! あたしゃビルのおそうじオバチャン

こんなあたしもユメはある こんなあたしもユメはある
かわいいパンティはいてみたい

きれいなフリルのついたやつ イチゴの模様のついたやつ
黄色いリボンのついたやつ アソコの部分のスケてるの
あたしのパンツはとうチャンのパンツ

あたしゃビルのおそうじオバチャン あたしゃビルのおそうじオバチャン
今日も歌って仕事する



畳の目を描かかせたら世界一!これぞ日本庶民のヘヴィ・デューティ!
ファッション雑誌にゃ一生涯取り上げられない、哀愁の大巨匠東陽片岡画伯THANKS!




『ゆっくり・たのみま~す』

「10$の恋」

こんなに愛しているけど 冷たいおまえにゃわかるまい
金のとりもつ 縁だから 仕方がないかもしれないが

出来れば お前といつだって 一緒に暮らしていたいけど
すべての男がお前にゃ 親戚みたいなものだから

出来れば お前といつだって 一緒に暮らしていたいけど
すべての男がお前にゃ 親戚みたいなものだから
愛しいお前に 会うためにゃ ちょっとのお金を 渡すだけ

こんなに愛しているけど 冷たいおまえにゃわかるまい



「たくわん」

こんな時にも あいつの事を 思い出すなんて
腹がへって 眠れねえのに 思い出すなんて
俺の生涯 抱いた女は
田舎に残した カカア一人 たくわんみてえな 田舎の女
カカア一人だけ

サンジュウさせごろ シジュウはしごろ
今じゃそれもすぎ ゴジュウの坂をくだり始めて お先 真暗
俺の生涯 抱いた女は
田舎に残した カカア一人 たくわんみてえな 田舎の女
カカア一人だけ

惚れた女は くさるほ程居たが
甲斐性まるで無く 下手な鉄砲も かず撃ちゃはずれて 愛はまぼろし
俺の生涯 抱いた女は
田舎に残した カカア一人 たくわんみてえな 田舎の女

カカア一人だけ





「天使のダミ声」木村充輝の傑作アルバム『流行歌(はやりうた)』

1.銀座カンカン娘
2.エノケンのダイナ
3.憧れのハワイ航路
4.黄昏のビギン
5.一杯のコーヒーから * デュエット 西島三重子
6.若しも月給が上がったら * デュエット 西島三重子 
7.カスバの女
8.星の流れに
9.上海の花売娘
10.コーヒー・ルンバ
11.上海ブルース
12.夜霧のブルース
13.道頓堀行進曲
14.別れのブルース

<木村充輝 Official Site>



「シカゴ バウンド」(尾関 真 作詞・作曲)

シカゴに来て2年が経った だけどいいことありゃしない
メンフィスから汽車に乗って やってきたけれど
他の奴らはうまいことやってるけど この俺だけが おちぶれちゃった
街の片隅小さくなって 一人暮らしてる
Uh 一人 暮らしてる

仕事をやって金を貯めてピストル買うんだ
ピストル買って頭めがけてブチ抜こうと思ったけど
仕事もなけれゃ ピストルも買えねェ これから先は真っ暗闇さ
惚れた女もいるにはいたけど メンフィスへ帰えろかな
Uh メンフィスへ帰えろかな

神様にも見放されたちゃったし 酒でも飲むしかねェ
レモンも死んじまった 一人で飲むしかねェ
俺によく似た そこのオッサン 俺と一緒に飲もうじゃないか
明日の晩は汽車に乗って メンフィスへ帰えろかな

Uh メンフィスへ帰えろかな Uh メンフィスへ帰えろかな



<内田勘太郎>



DVD「憂風 GON-TA TOUR '93 LIVE」



廃盤DVD「LIVE アナログ」



以下はジャケットタイトルの下の方に小さな文字で印刷しているこのアルバムと憂歌団を象徴している文章。

「The elements of "blues" a cupful of love, a teaspoonful of tears, bitter alcohol, few grains of sad melodies, a pinch of stories and a man and a woman・・・ these are what "good time's rollin" is made from.」(99.10.31)






『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう(1969)』
早川義夫が、1969年のジャックス解散直後に発表したソロ・アルバム。

「僕はこのレコードをどうしても流行に乗り遅れてしまうような方に捧げようかと思う。多分に時代遅れぎみのこれらの詞曲は、けっしてかっこよくはなくなんともみじめな歌ばかりである。
 まわりには卒業していく方もあるのに、僕はいつも同じところを歩いているような気がしてならない。絶対これだというのがなくいつもうじうじしている。別に、化粧品や紳士服のコマーシャルのようにキリリとした男性を望んでいないから、まして卒業とは納得すればいいのだから、僕は一生卒業できないだろう。君も、一年前にこのような場所でこのような事を考えた。だからきっと一年後もこのような場所でこのようなことを考えるだろう。逃げようと思えば思うほど追いかけられるのだし、それは求めれば求めるほど見失うようなもので、いつのまにか背中だけが巨人になっている。すくなくとも追いかけられるより追いかける方がステキだろう。
AはAの原因しか知らず、BはAの結果しか知らぬ。かも知れないしかも知れぬ。人々の会話はスピードを増し、納得したふりでで事のみ運ばれてゆく。いったい僕たちはあれもこれも欲しいのだろうか。僕は、回転数を間違えたようなこれらの詞曲を、甘えたくて甘えたくてしょうもない人に聞いてもらいたい。(「能書」早川義夫)」



<早川義夫(はやかわ よしお)>

1947年東京生れ。 元歌手、元書店主、現在、再び歌手。
グループサウンズやフォークソングが流行しはじめた1960年代後半に、フォークロックバンド「ジャックス」のリーダーとして活動。
1970年に音楽業界から引退し、1973年、川崎市中原区に早川書店を開業。
1994年に音楽活動を再開し、1995年に22年続いた書店をたたむ。
アルバムに「この世で一番キレイなもの」(ソニーレコード、1994年)、「歌は歌のないところから聴こえてくる」(同、2000年)、最新作に「言う者は知らず、知る者は言わず」(アゲント・コンシピオ、2002年)がある。


「サルビアの花」(作詞:相沢靖子 作曲:早川義夫)

いつもいつもおもってた サルビアの花を
あなたの部屋の中に投げ入れたくて
そして 君のベットに サルビアの紅い花をしきつめて 
僕は君を 死ぬまで抱きしめていようと
なのに なのに どうして 他の人のところに 
僕の愛の方がすてきなのに
泣きながら 
君のあとを追いかけて 
花ふぶき舞う道を 教会の鐘の音はなんてうそっはちなのさ
とびらが開いて出てきた君は偽りの花嫁 
ほほをこわばらせ 僕をチラッと見た
泣きながら 
君のあとを追いかけて
花ふぶき舞う道を ころげながら
ころげながら 走りつづけたのさ

ファンであったという人から、「もう歌わないんですか?」と尋ねられた時、「なぜ生きているんですか?」と問われているような錯覚に陥ったが、「50か60になったらまた歌いますよ」と僕は冗談まじりに答えた。しかし、それは案外本気だった。どんなに月日が流れても、僕は何一つ変わらない。いつの時代も変わるのは風景だけだ。
「たましいのこと――本屋から歌手にもどって 早川義夫」


ekato


何時のころからか、かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう...だか、かっこ悪いことはなんてかっこいいんだろうだか...わかんなくなったけど”憂歌”を教えてくれた憂歌団と”憂我”を教えてくれた早川義夫さんには幾つになっても RESPECT!
「憂歌団が好きやねん」
それから、畳の目を描かかせたら世界一!これぞ日本庶民のヘヴィ・デューティ!
ファッション雑誌にゃ一生涯取り上げられない、哀愁の大巨匠東陽片岡画伯にもTHANKS!RESPECT!ォォ~!










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